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曽祖父 作太郎(大和松緑)が萩市より山口市に窯を移し一〇〇有余年になります。
新たに二〇〇〇年一月 大内氏ゆかりの地、明善谷に明善窯を開窯いたしました。
祖先から受けついだ伝統を生かしつつ新たな焼き物作りに工夫を重ねております。
今後ともよろしく御指導、御引立てをお願い申し上げます。
十六世紀末期、豊臣秀吉による文禄・慶長の役(朝鮮出兵)により朝鮮半島から連れ帰られた李勺光、李敬兄弟を中心とした陶工たちが起源です。 秀吉より兄弟を預けられた毛利輝元が関ヶ原の戦の後、1604年広島から萩へ移封されそれに伴い萩焼が始まりました。 初期の萩焼は高麗茶碗の写しでそれを再現するために適していたのが防府市の大道で取れる土で現在でも主要な土として使っています。1663年に初代三輪休雪が御用窯に取り立てられ、藩命により京で楽焼を学び萩焼の和風化が進みました。 江戸中期には全国的に磁器が盛んに作られるようになり萩でも磁器窯が出来、中国に輸出するほど栄えていたそうですが、他の産地の量産物におされ明治から昭和にかけて衰退していったようです。 1815年には御用窯以外で禁止されていた濃茶茶碗に似たモノが出回ったため萩焼の主要な土である大道土の禁止令も出たようですがあまり効果は無かったようです。 明治に入ってからは御用窯は民営化を迫られ存続の危機に合ったようです。明治中期には三輪窯で修行をしていた大和作太郎(松緑)が萩から山口市へ移り創窯します。 多くの御用窯が衰退していった中、十代三輪休雪(休和)の休雪白が認められ重要無形文化財「萩焼」保持者(人間国宝)に認定されまたその弟の十一代休雪(壽雪)も同じく人間国宝となる快挙を成し遂げられました。また、深川焼の十二代坂倉新兵衛も人間国宝の候補になっていたそうです。 現在では西洋文化の影響などから造形的な作品やクラフトなども出てきて多様化が進んでいます。
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